日本・世界の自転車と街
旅や仕事・日常生活を通して、日本そして世界の自転車にまつわるトピックスを、
様々な分野で活躍するサイクリストが語ります。

2020年11月30日

シルクロード横断1万キロ。余計なことを一切忘れて一日一日に没頭する毎日が自転車旅の魅力

20年近く前に世界地図を眺めながら「1年あったらどこを走ろう」などと考えていたら・・・「そうだ!シルクロードに行こう」という計画が頭に浮かんだ。アジアからヨーロッパへと文化が移り変わっていく様子を体験したいと考えたのだ。

当時はすでに働き始めていたが一大決心をして仕事を辞め、僕は2004年5月に中国・西安の地に降り立った。

ここから「さぁ!アジアとヨーロッパが交わるトルコ・イスタンブールまで走るぞ」ということなのだが、ルートの選択肢は4つ。

①    ロシアに入国して、ロシア国内を移動する最も北側を走るルート

②    ロシアのすぐ南に位置するカザフスタンを通過するルート

  その他ウルムチから南下し中国最西部に近いカシュガルまで走り・・・

③    イルケシュタム峠またはトルガルト峠を越えてキルギスを走るルート

④    さらにさらに南側、カラコルムハイウェイと呼ばれる山岳ルート

①のルートではアジアからすぐにヨーロッパの雰囲気に近づいてしまう気がしたので敬遠した。最も興味があったのが④の海抜4,693mのクンジュラブ峠を抜けるカラコルムハイウェイルート。しかし治安の心配があったため④を諦め、③のルートを選択することに。中国、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャン、ジョージア、トルコ、ギリシャ、イタリアを約8カ月かけ(イスタンブールでゴールにする予定が結局イタリア・ローマまで走ってしまった・笑)、全走行距離10,045kmの旅となった。

文化が変化していく様子と繋がりを感じるには、自転車で走るスピードがちょうど良い

旅人がその地の文化を最初に感じやすいのが食べ物・飲み物だ。例えば当時の中国西部ではコーヒーは一般的でなく、地元の人たちはお茶をよく飲んでいた。西に進むにつれて緑茶の色が茶色くなり、そのうち紅茶を飲む人が増えてくる。コーヒーはカスピ海を越えたあたりから現れてくる。

一方、麺類はアジアからヨーロッパまで広く食べられ、中国西部でよく食べられているトマトやピーマンなどの野菜と羊肉を炒めて手打ち麺にかけるラグ麺はどこかイタリアのパスタのようで、シルクロードを通じて何か文化が繋がっている感じがする。文化の変化や繋がりを直に体感できるのも自転車旅の魅力だろう。

自転車だからこそ訪ねられた町で出会った人との繋がりは、旅の最高の思い出であり財産

出発する前に現地の情報をなるべく多く集めておきたかったのだが、中国の改革開放政策やソ連崩壊により私が旅した2000年代は自転車でシルクロードを旅できるようになったとはいえ、日本では思うように情報収集できなかった。そのため走るルートに関係しそうなホームページをひたすら検索し、現地に住む日本人や団体に片っ端からメールを送っていた。その中でウズベキスタンのフェルガナ盆地に位置するリシュタンという町にあるノリコ学級という日本語学校から返信があり、1週間ほどお世話になった。陶器で有名な町だが、日本人の旅行者がなかなか訪れるような場所ではない。私も自転車旅でなかったら一生訪れることはなかっただろう。そして、この町での滞在が最も思い出深いものになり、その繋がりは今も続いている。

当時私が持っていたデジカメを物珍しそうに取り囲んでいたリシュタンの人たちも、今はスマホを持ってSNSをやるようになり、10年以上という時を超えて再び連絡を取り合っているのだ。ノリコ学級のガニシェル校長と電話で話し、私が寄付したお金で「机と椅子を買った」と聞いて、ちょっと誇らしい気持ちになった。また校長の姪が日本の郡山に留学し、たまたま私の勤務先と近いところに住むことになったので、いろいろサポートすることもできた。

自転車で旅した日本人がほとんどいない地で、ペダルを漕いで汗や土埃の匂いを嗅ぎ、日差しに焼け、雨に打たれ、喜怒哀楽にまみれた長い距離を旅したから、そこで出会った人たちの記憶は脳の奥深くに刻まれている。そんな出会いに癒されながら、過去にも未来にもとらわれず今という瞬間に没頭してペダルを漕ぎ続けるが自転車旅の魅力だ。

筆者プロフィール

小林和人/精神科医、医療法人山容会理事⻑

東京大学医学部医学科卒業(2000年)の精神科専門医。日本スポーツ精神医学会所属。趣味は自転車旅行で、2004〜 2005年にシルクロード1万km単独横断、2007〜2008年に オーストラリア6,500km横断を経験。現在も勤務地である山形県酒田市でMTBライドを趣味として楽しんでいる。